眼鏡屋は夕ぐれのため　抄

眼鏡屋は夕ぐれのため千枚のレンズをみがく（わたしはここだ）

もう西がどちらかわからなくなってつめたい海が　海がはじまる

四肢長し宵の明星くろぐろと釘打たれたる人のかたみに

ステンレスシンクの上の水溜りかすかふくらみたれかの目ざめ

泉とはいかなるところ鹿の目をしているきっといまのわたしは

人工衛星【サテライト】群れつどわせてほたるなすほのかな胸であった　地球は

青空が折りたたまれてあるまひる曲がり角とはいたましい場所

かんたんなものでありたい　朽ちるとき首がかたんとはずれるような

草原が薄目をあけるおりおりの水おと　ここも銀河のほとり

ひかり射す昼餉ひとりがたのしくてゴドーを待つとはこういうことか

なにひとつわたしのものでないゆえにかろき惑星儀をあがないぬ

神さまのかたち知らないままに来て驢馬とわたしとおるがんの前

生まれる子生まれない子とひしめいて保温ポットの中のきらきら

ポスターの娘の胸にふりかかる雪は塩だと思いやまない

ゆくりなく夕ぐれあふれ街じゅうの眼鏡のレンズふるえはじめる

【　】内はルビ

佐藤弓生歌集『眼鏡屋は夕ぐれのため』（角川書店）所収